お世話になっております。
24年度スタッフリーダーを務めさせていただきました。4年岡野朱里です。
24’シーズンでも、たくさんの方々からご支援、ご声援いただき誠にありがとうございました。
応援してくれている人たちがいる、それが私たちの自信となり、勇気となり、前に進む活力となっていました。
また24’シーズンだけでなく、歴代シーズンにおきましても、たくさんのOBOG、それを支えていただいた保護者や関係者の方々の大変な尽力があり今の武蔵があること、本年は特に痛感し、日々部活に励むことができておりました。
皆様、本当にありがとうございました。
感謝の意はここでは書ききれないため、また機会を得ることができましたらその時にお伝えしたいです。
ここから、幹部ブログを始めます。
引退ブログは四年生としての気持ちを表明するものだった。
幹部ブログを書くようにというのは(伝統だが)、幹部=私の場合はスタッフリーダーとしての総まとめを述べろということだと解釈し、私のリーダー論を記していこうと思う。
四年としての決心や想いは引退ブログでほとんど書ききるようにしたつもりなので、暑苦しいブログを欲している人はそっちを読んでください。
この幹部ブログでは、反省とか、叱咤とか、そういうマイナスなものも書いていくつもり。
そして死ぬほど長いし淡々とした文章だから、読むのがしんどい人もいると思います。
けど「拙い文ですが」って保険かけるほど適当に書いてないので是非読んでください。
あと、これは一種の篩にもなるかなって思います。
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まず、私の考えるリーダーとは、「決定する人」のこと。
決定、決断する人のこと。
【リーダーとして組織をどうやって動かしていくか】
そのビジョンを持つ人間、決断する力を持つ人間がリーダーになるべきだと思う。
そのために必要なのは
○武蔵がどういう大学か、どういう人間が集まったチームかを知ること
○孤独になる覚悟
○どのように組織を動かすのかというビジョン
○自分に嘘をつかないように自分に対して守るべきポリシー
ここら辺かなと思います。
○武蔵がどのようなチームかを知ること
リーダーに必要な力とは、という話でよく言われるのは
・意見をまとめる力
・優れた発信力
・我武者羅に努力できる力
・人を惹きつけるカリスマ性
など。こういう力を持った人間をリーダーの候補として挙げることが多いけど、私は違うと思う。
それらの能力をもっていても組織の目標に尽くすことができなければ、それはリーダーに相応しい人間ではないと思う。
例えば、
努力は人一倍できるが、組織全体にそれを波及させ組織全体の努力量を底上げするという目的がなければ、その姿は他の人にとってただ感化されるような対象に留まるだけ。最終的に他の人の理想像も「あいつみたいに人一倍努力ができるようになりたいな」程度に終わる。もしくは「あいつよくやるよな、自分じゃ無理だわ」程度に壁を作って終わる。
例えば、
カリスマ性を持っていても、それを組織の目標を達成するために正しく使わなければ、しかもそれがもし甘えた選択に逃げるような人間なら、多数決で決定するような場面では甘えた逃げの選択が正解とされてしまう。歪んだ方向に発揮されたカリスマ性に同調する脳死のマジョリティ。人間の奥底にある甘えたい、逃げたい、楽をしたいという感情を正当化してくれる存在に脳死ですがり、全員が落ちていく死んだ組織。
そうなりかねない。
意見をまとめる力も、発信力も、その力が組織の目標のために行使されなければ、さらに言えば悪い方に行使されれば、組織は堕落していく。
だから先述した能力だけでリーダー観を語り、その能力を有する者に絞ってリーダーを選定するのは危険だと私は思っている。
そして、この武蔵大学男子ラクロス部ではそれが容易に起こりうる。いや、可能性の話じゃなく経験則だ。
長妻さんから始まり、よくいろんな人が言ってる「武蔵は学力も、運動神経も、努力値も、全て中途半端だから、一部で戦うには他の一部所属大学よりも高い負荷でやらなくては日本一を目指せない」はまさにその通り。
学歴コンプとかではなく、事実としてそう。
武蔵大生は早慶国公立やG-MARCHを合格する努力量を持ち合わせていないのがデフォ性能。
自分に負荷をかけたことがない人たちの集まり。
で、それはうちの部でも同じことが言えて、今まで一部に居続けられたのは諸先輩方の死ぬほどの努力とコーチ陣のおかげ。武蔵では奇跡レベルの努力と想いが一代ずつ継がれ途切れず、武蔵でも一部に居続けられた。
ので来年はわからない。文化だけには縋れない。自分がやらないと。
うちの大学はそのレベルなので、武蔵でリーダーやるには半端ない決断力とそういう奴らを率いる覚悟と行動力が必要ってことです。
-逃げや甘えを正当化する人間が多い-
それはリーダーである自分もその可能性を孕んでて。
シーズン中は常に自分の決断は逃げじゃないか、甘えじゃないかと自分に矢印どころか刃物突きつけるレベルで疑心だった。信頼できる人に「これって甘えじゃないですかね?」って確認までした。
自分に対してもそんな感じなので、自分含め基本全員信用ならないと思って接してた。
武蔵では、バカまじめや素直な奴は利用されるか距離を置かれるかだし、意地汚い逃げ腐った奴でもポテンシャルと他人への甘やかし方が上手ければその下劣な本性は隠したまま4年間を終えることができる。
なぜ多数がそうやって動かされるのかというと、『辛いことが嫌』を指針にみんな動いてるから。
それを『日本一を目指すため』という指針にすり替え、その人の今までの人生変えるくらいの覚悟と行動量がうちの部のリーダーには必要とされている。
○孤独になる覚悟
そして、そんな多数の中であれば正論振りかざす異端者は少数で、そういう異端者は決まって孤独になる。
その孤独を抱えるのがリーダーなら覚悟決めたんだろうがって腹括って欲しいし、
リーダーではない部員なら全力でその人を大事に育てて孤独にすることなく芽を潰さない努力をして欲しい。
「孤独になる覚悟」というのに付随して伝えたいのは、
人は変わらないということ。
期待しても信頼してもこちらが力を尽くしても、人は変わらない。
そいつが自分自身に対する圧倒的な挫折や苦悩に直面しないと、そしてそれを自分自身で打開しようとしないと、人は変わらない。
圧倒的な挫折は、ちょっと泣いた、ちょっと悔しかった、とかそんなレベルじゃない。
建前抜きで死ぬほど悔しいとか、そういうやつ。
だからリーダーがどれだけカッコよくて熱い言葉をそいつのために並べたところで、どれだけ勇気出して叱ったところで、人は変わらない。
けど言い続けなきゃいけない。こいつらマジで変わんねえなって終わってんなって思っても本気で言い続けなきゃいけない。
それがリーダーだから。それがリーダーとしての”挫折”であるべき。
目標を目指すのに反れた人間がいたら正しい道に戻るまで本気で言い続けなきゃいけない。自分が行動で示さなきゃいけない。
それがチームの指針を背負うということだから。
目標を目の前に、圧倒的な正義で居続ける覚悟。
リーダーになる人間はその覚悟を持ってください。
そのためには、弱音吐くやつは悪だし、マイナスなこと言うやつは悪。
私はみんなの前で「将来が不安だ」とか、「無理、できない」とか、「リーダーが自分で良いのか」とか。
そういうことは言ったことない。そりゃ発破かけるために言ったことはあれど、本気で言ったことはない。
どれだけ不安だろうが、自分がやってることにどれだけ自信がなかろうが、どれだけ成果が出なかろうが、
それを口にするのはチームにとって悪。
そういう姿勢を少しでも出すことも悪。
リーダーは弱音なんて吐いてる資格もなければ暇もないしそれをメンバーに見せるくらいだったらすぐにリーダー辞めれば良い。
リーダーの弱気な姿勢や発言はすぐにチームに伝染して簡単にチームを終わらせます。
時々弱音吐きまくりながらやってるリーダーを見るけど、チームが本当に可哀想だなと思う。
そういう人が意外と「他の人への感謝」とか言ってるし。
本当に支えてくれてる人に感謝してるんなら弱音吐けないくらい自信持って動き続けることが何よりの恩返しだし、
それをできないことが支えてくれてる人や伝統を創り上げてきた人たちにどれだけの失礼か気付いてない。心底吐き気がする。
そのくらい害悪。
リーダーは、部員や、支えてくれてる人や、OBOGや、コーチがどれだけの想いを紡いで今のチームができているかを本当の意味で知るべきだと思います。
そうすれば弱音やマイナスな発言は出てきません。それを言えない立場が、責任があるから。
応援されることの責任、
未来を創ることの責任、
勝つことの責任。
始まりは必ず、リーダーが誰よりも孤独に背負わなければいけない。
そして孤独を受け止めながらもチームに良い影響を及ぼし続け、その責任を理解し行動できるメンバーを一人でも多く作らなきゃいけない。
リーダーはそうあるべきだと私は思います。
○どのように組織を動かすかというビジョン
【リーダーとして組織をどうやって動かすか】は、目標に対する正しい指針を部員一人一人に持ってもらうために、一人一人を、組織をどうやって動かすかというビジョン。
例えば今年私は、スタッフが同期やプレイヤー、他人のためではなく、ただ純粋に自分のために日本一を目指せるのかどうかを懸念していた。
プレイヤーが勝って喜んでるのを見るのが嬉しい
先輩がいるから頑張れる
同期や先輩・後輩をモチベーションに、とはよく言うが結局"自分"に軸を置かなければ、
「来年があるし」って言葉が出てくると思ってる。
先輩たちの想いを来年に繋いで、とか
後輩が来年やってくれるから、とか
それはそれで素晴らしいチームだけど、今、現状、チームの勝利のために動けていないやつが来年や再来年の自分や後輩に託すことの無責任さほど恥ずかしいものはない。
そして自分のそれに気づかず美談として鼻高々と語ってしまう愚かさも。
日本一を目指すチャンスは4回ある。
そりゃラストイヤーにかける想いは強まるけど、
3/4できないやつが残り1/4、25%だけ頑張りますってダサすぎる。信憑性もない。
あと他人を軸に置くやつはその人に裏切られた時の挫折から立ち直りづらい。異論は認める。
で、そういう理由で特にスタッフには自分軸で日本一という目標に葛藤してほしかった。
『スタッフが、自分のために日本一を目指せる組織にする』
スタッフリーダーとしてそういうビジョンでやってきたつもり。
LINEでも口頭でも常々「日本一の基準なのか」とか「日本一を意識できているか」とか言ってたと思う。
一年生とかはおそらく、日本一ってなんなんだよーーってなりながらもわからないなりにもがいてくれてたね。
なおがある日の進捗で育成の上級生とぶつかってくれた時、何を求められてるかわからないって正直に言ってくれた時、そこでちゃんと一年生を含めたスタッフ全員が「プレイヤーのため」ではなく「勝つため」「日本一を取るため」にどうすれば良いのか考え始めることができたと思ってます。ありがとう。そして、なおだけでなく他の一年生の想いも聞いて君たちの未来が楽しみになった。
一年生がこういう気持ちでスタッフの業務に励んでいることには、二年生の育成があることも忘れてはいけない。
言葉が拙いなりに一年生に求め続けてくれていたこと、「日本一のスタッフ組織」を体現しようと姿勢を持って見せてくれようとしたこと。それが一年生に伝わった。
そして二年生がそこまでやれるようになったのは、三年生の育成がやってくれたから。
三年がやったのは、私たち四年がやったから。
文化が継がれている感覚だった。
私はこういう組織が作りたかったんだ。そしてそのビジョンを全員が叶えてくれた。
ここで「やったから」の一言じゃ表せない苦しみがあった。膨大な時間をかけた。
そしてそれを皆がやってくれた。
本当にありがとう。
このように、ビジョンを持っていてもリーダー1人では成し得ない。
ただし「リーダーとして組織をどう動かすか」というビジョンと本気で行動する覚悟さえあれば、自分の能力では足りないものも他の人に補ってもらいつつ、その采配を決めつつ、より良い方向に組織を導いていけると思う。
だから”リーダーとして必要な能力”に足りない部分があっても、問題はない。補ってもらえばいいのだから。
1.チームが掲げる目標に対して在るべき理想の組織のビジョンを持つこと
=視野の広さ、俯瞰で見ること
2.ビジョンを現実にするため
自身に負荷をかけること、他者に働きかけること
これらを覚悟を持って取り組める人間がリーダーに相応しいと思う。
○ポリシー
ここからは私の現役時代のポリシーと実体験と負け犬の遠吠えを。
私は、
「自分は馬鹿だから」「陰キャだから」「才能がないから」って保険かけて同情誘って自分ができないことを恥ずかしいとも思わない、自分から動いて打開しようともしない救いようのない奴とか
他の人の努力とか、その人以外が推し量れるはずのない気持ちとか、そういうものを憶測と偏見だけで卑下して嘲笑って軽口叩いて否定する奴とか
チームが調子良いのに乗っかって、自分は努力も何もしてないのに威勢良くなる奴とか
逆にチームが落ちてる時はしょげて何もしない奴とか
私/俺はこう思ってるんですけどねって周囲には発信しないくせに裏で都合いいこと言う八方美人な奴とか
他の人がやってないから自分もやらなくていいやって責任転嫁して、いざ指摘されたら全員引っ括めてそれが総意だと正当化する奴とか
多数派の意見だからそれが正で、それが罷り通るのは仕方ないって簡単に諦める奴とか
そういう人間が死ぬほど嫌いです。自分の嫌う人間に自分がなりたくはない。その一心でやってきた。
自分に嘘をつかないように。
そういう奴らは、日本一を目指すとか他のチームに勝つとか、烏滸がましくて口に出すことも許されないと思う。
そしてそういう人間はマジでどう動いても何回言ってもあまり変わりません。本来なら私の人生の中で関わりたくもないです。
けどそういう腐った奴らを辞めさせず、指摘し続けて、自分がマイノリティであっても正しいと思うこと発信し続けて、動き続けるのがリーダーの責務だと思う。
そしてそれを一回でも多く、どれだけ小さいものでも一回でも多く、とにかく諦めずにやり続けることが自分自身の自信になって、プライドになって、自分をリーダーとして形成するものになる。
言葉、姿勢、行動、どれだけ細かく小さいものでも、一回でも多く諦めなければ、次、諦められない理由になる。
プライドを自分で創り続け、それを誰より自分が守り抜いてください。
どれだけ自分以外に絶望しても、自分自身に絶望しても、今まで自分が積み重ねてきたプライドを、4年間を、この一瞬で終わらせる訳にはいかない。そういう気持ちがまた自分を奮い立たせてくれるはずだから。
リーダーは辛いです。
到底分かり合えない奴と関わらなくちゃいけない、
もしかしたら自分が道を踏み外して毛嫌いする人間と同じ方向行くかもしれない、
もしくは部員をそういう人間に育てちゃうかもしれない、
そういう恐怖とか、
どれだけ言っても変わらない奴らに時間割く馬鹿馬鹿しさとか、
期待して裏切られて期待して裏切られてを繰り返す絶望とか、
最終的にこうなるはずじゃなかったって方に転ぶ虚しさとか、
そういうのばっかり。
けど時々、本当に時々、やってて良かったって思うことがあります。
その嬉しさは、喜びは、本気でやらないと味わえないものだと思う。
リーダーが誰より一番、幸せを感じられるもの。
触れぬ存ぜぬ、仲良しこよしやってるだけじゃ味わえないもの。
後輩の成長とか、チームの成長とか、自分のビジョンに近づけたと実感したときとか。
そして、やっぱり勝った時にそれがもっと上の嬉しいとか楽しいとか、そういうものになるんだろう。
勝てなかったから憶測でしかないけど。
マジで悔しい。
この終わり方で終われるわけない。
引退の時に4年間の努力を美化するためにやってきたわけじゃないのに。
ただ学生日本一をとることでしか報われなかったのに。
本当に病気かと思うレベルだけど、未だに「負け」って文字見ると日本一を目指せなくなった日体戦とか入れ替え戦決まった明治戦とか最後の立教戦とかが全部フラッシュバックして泣きそうになる。
何かの縁でこのブログを見つけてくれて、その忍耐力でこのバカ長いブログをここまで読んでくれた全学行ったチームの人達に伝えたい。学生日本一になった人達に伝えたい。
そして、行く末で一部昇格を果たした武蔵の子達にも。
負け犬の遠吠えでしか、自分のエゴでしかないけど。
死ぬほど勝ちたかったです。
そりゃもう、死ぬほど。
特に同ブロックだったチームは、毎回4年のブログ読んで絶対負けねえって、この人達より勝ちたいって思ってました。
「不安」とか「緊張」とか「後悔」とか、今の時点でそんな言葉使ってる人達に絶対負けたくねえって思ってました。
けど結果はこのザマです。
私はスタッフだけど、試合ではプレイヤーが1点を争って勝敗が決まるけど、シーズン中の全ての要素が重なっての試合結果だと思うしそこに関与してた自信と責任はあると思うから自責を込めて言うけど、
このザマでした。
けどそれを棚に上げて言うなら、私みたいなマジで負けたくない、死ぬほど勝ちたいって思ってる人間の上にあなた達がいます。
スタッフは、毎回声枯らしてもらわないと、毎回の練習で試合意識して死ぬ気でやってもらわないと、違うもんは違うって意思貫いてもらわないと、私以上の気持ち持ってやってもらわないとたまったもんじゃない。「存在意義がわかりません」とかほざかれたらたまったもんじゃない。1回1回の試合のボックスで生きるか死ぬかくらいそこに賭けて欲しい。次があるからとかいう驕ったこと言うんだったら今すぐその座を譲れマジで。何もやってないスタッフが「うちの男子ラクロス部は学生日本一とりました、一部昇格しました」って乗っかるのだけは許せないです。
プレイヤーだって、緊張とか不安とかそういうの感じないレベルで努力して欲しいし、武蔵の4年プレイヤーは、陽平は、中途半端に日本一目指したいって思ってなかった。その気持ち背負って欲しい。
こんなこと私が言わずとも理解してくださっている方々はいっぱいいることでしょう。けどやっぱ当事者から改めて伝えさせてください。
私にはなかった、'24の武蔵にはなかった、
勝者に相応しい器で居てほしい。
そして、次シーズンを担う大志やゆきなは、その器を醸成し覚悟を持って「一部奪還」やりきってください。
さらに、一部奪還を達成した時、私みたいな悔しさを勝者に託すことしかできない敗者がいる、それを背負いきる覚悟を今から想定して動いてください。
色んなブログで何回も言ってるけど、今の気持ちと努力量で他の大学の上に立てるのか。その器があるか。チームと向き合ってください。
私からしてみれば、2.3年はまだまだ微塵もその器がないと思う。そしてそれを4年は変えることができなかったし、もしかしたら4年ですら成し得ていなかった。だから武蔵には二部降格という結果しか残らなかったのだと思う。
結果が全てです。
目指していた目標に対して、達成できたか否かという結果でしか努力は報われたか否かその答えは出ないし、
「過程も大事」派は目指していた目標以外に、副産物として何か利益が得られるよってことしか言ってないと思う。
私たちは学生日本一を目指し、そして散った。
この悔しさは決して美化して昇華させることができないものだし、今後一生悔しい。
けど副産物としてリーダーとしての学びや、自分に足りなかったものの気づき、自分が胸を張ってやってきたと言えるもの、「文化を残す」と威勢よく言い放ったそれを後輩が細々と継いでくれそうな一縷の期待、そういうものが残った。
あと私に残されたこと。
武蔵大学男子ラクロス部に入部して人生が変わったこと。
ここで落ちぶれていられないという気持ちも出てきた。
また挫折9割、楽しい1割の人生を歩むのだと思う。
けどそこから逃げない、挑戦し続ける、他の人を巻き込む、この部でそう在れるよう死に物狂いで4年間走り抜けたように、今後もそうやってストイックに、かっこよく生きていきたいです。
大層なこと言ってますが、でも間違いなくこの部での経験は今後そういう人間でありたいと思わせてくれました。
結果を残せなかったことは死ぬほど悔しい。
けど4年間楽しかった。
これで全部終わり。これが私の全てでした。
伝説になれたかな。なれてたらいいな。
私に、武蔵に、関わってくださった皆様
今まで本当にありがとうございました。
武蔵大学男子ラクロス部に入って良かった。