まずはじめに、日頃より武蔵大学男子ラクロス部を支援してくださっているOB、OG、保護者の方々や学校関係者の方々にこの場をお借りして感謝申し上げます。そして、キム・シュンソクコーチ、徳橋コーチというコーチの方々に出会えたこと、大変感謝しています。
ラストブログ
ラストなんて自分には来るのだろうか。本当にそう思って練習していた時期がつい最近かと思うくらい、時間の流れの速さを感じています。
文章を書くのはあまり得意ではないですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
「二部降格」
「お前らが今戦えている舞台は先輩たちが作り上げてきてくれた場所でしかないんだよ」
そんな言葉を去年のリーグ戦前に言われ、あまりピンときてなかった自分。当然、練習もしていたし、自分のプレーを見返しながら、反省と実行をし続けていると思っていた自分には響くはずのない言葉だった。
「お前らの代やばくね?」「お前器用貧乏って感じ。勿体無い。」
もう勝手に言っとけよ。気にしてたまるか。と思っていた。
‘24リーグ戦があっという間にすぎ、入れ替え戦が終わり、’24シーズンから’25シーズンに変わった。チームを牽引してくれていた人達がいなくなった瞬間、最上級生としてどうすればいいのか、何をすればいいのか分からなかった。
幼い頃から基本的に8割くらいの力でプレーをして、指導者の指摘を自分事として捉えたことがあまり無かった自分にはチームを引っ張ることなんてできない。そんな絶望感に苛まれた。苦しかった瞬間として明確に覚えている。
じゃあどうする?
すぐに答えが出る問いでは無かったが、確信的な答えが見つかった。
「絶対的な”Sample One”になること」
全員が最強ではない組織において、人として絶大な信頼のおける1人になることは、強いオフェンス組織を作り上げるためには一番重要なことだと思った。
何をやるにもあまり目標を定めない自分が初めて明確な目標を定めた気がする。
絶対的なSample Oneになる。
幹部でもリーダーでもない自分ができるのは誰よりもラクロスに向き合うこと。そして、チームを勝たせたい。
そう目標を定めてからは、練習も苦しいと考える間もなく、1on1やショット、戦術など様々なことで思考をめぐらせるようになった。移動中やオフはNCAAの試合をひたすら観ていたり、学生もプロも関係なく上手い人の1on1を画録して何回も観たり。とにかく自分のプレースタイルやチームの戦術としてのヒントを探すのが楽しかった。1番ラクロスに夢中になれた瞬間だと思う。
「チーム組織の幹部でも役職もない自分が1番技術的に組織を引っ張る」
Sample Oneになろうと目標を立てたのもこの考えが根本にあった。
あまり考えずに練習していたグラボやキープ練もいかに取れるか、ダブられても落とさない為にはどうするのかなど、ショットやパス、ダッジなど以外にも考えて練習していた。
‘25シーズンのことについて少し触れたいと思います。
「ここで1つ皆さんに問いです。何のためにラクロスをしていますか」
新コーチのキム・シュンソクコーチは「一部奪還」
とか「日本一」という目標以前になぜラクロスなのかの部分を聞かれた。しかし、すぐに答えが出なかった。ラクロスをしていた理由。そんなこと全く考えもせず上手くなるためには、とかオフェンス知識を増やそうなどとしていたため、根本的な部分を考えたことはなかった。
一部奪還という‘25シーズンの向かう先としてあげたこの目標を叶えるには常に「自責」し続け、チームの勝利のために求め合わなければならない。
その時、これまでの自分のしてきたことを振り返った。
3年までの自分は一つ一つのプレーを考えながらしていたというよりも先輩みたいにこんなプレーしてみたいというなりたいモデルを真似ながら練習するという基本的に自己満足でプレーしていたように思う。苦手なことは触れず、軽くやってできそうなことしかやっていなかった。皆を熱く露骨に引っ張ったり苦手な1on1については改善しようと動いたりはしていなかった。得意な部分で自分のプレースタイルを作っていけばいいや。実際にそんなふうに思っていたと思う。ラクロスをなめていた。
自分の武器も大して尖っていない自分が苦手を克服しようとせずに「日本一」という目標に向かっていたとは。今思えば、口に出すのすら恥ずかしい。
そう思ってからは得意なプレーを練習するのではなく、現状の自分課題を練習し続けた。
客観的な評価とかよりも自分の課題を克服するまで取り組むやり方に変わった。
最後にオフェンス陣に
練習中雰囲気悪くする怒り方何回かあったと思う。士気を下げる発言をしたのはごめんなさい。ただ、練習中雰囲気が緩くなって、楽しいだけの練習をするのは絶対に嫌。ミスが起きた時に笑いになるみたいな雰囲気も嫌。今年の上級オフェンスで強く言えるのは自分だけだと思ったから。だから雰囲気が緩くならないようにずっと強く言った。三、四年は絶対忘れないと思うけど勝負事は一点で負ける。一点で降格する怖さを知ってる。相手側の観客とベンチが一体になって喜んで、武蔵のベンチは誰も見てない。あの一年前の入れ替え戦の景色を絶対に風化させてはいけない。「ごめんな。昇格させてやれなかったけど、来年頑張れよ」なんていうダサい代にはなりたくない。
初戦は千葉戦。相手が誰であろうと常にチャレンジャーの精神を持って、シュンさんや徳さんたちと1年間で作り上げた仮説-検証の成果をぶつける。一部の実力を知る今年の代で絶対に一部奪還しよう。
柴崎太成