『過程』と『結果』どちらが大事かということは昔からよく耳にする議論である。
どっちも大事に決まってる。
『過程』なくして『結果』は出ないし、本気で『結果』を追い求めなければ、素晴らしい『過程』を踏むことは出来ない。
しかし、今の段階で大事なのは『結果』だ。
弊部は、創部史上初のFINALへの出場を先日の中央戦での勝利でもぎ取ることが出来た。
しかし、目標はFINALに出場することではない。
日本一を取ることが弊部の目標であり、次のFINALで慶應に勝つことが出来なければ、目標を達成することは出来ない。
予選リーグでの敗北、FINAL4での敗北と変わらない。
今年度においては、目標を達成出来なかったという『結果』が残ることになる。
大抵の人間は、『結果』が奮わない時に身勝手に『過程』を美化する。
そうすることで、自分自身が積み上げてきたものを肯定化するためだ。
僕もそうだった。
僕が現役の時、日本一を目標に掲げていたのにも関わらず、入替戦に出場することとなってしまった。
しかし、入替戦に勝利した後には、僕が活躍し、後輩達に日本一の舞台を目指せる環境を残せたことで素敵な4年間だったと思ったのを覚えている。
『過程』が良かったなんていうのは、引退した後でいくらでも思えば良い。
だから今はだた『結果』を意識しろ。
絶対に試合が終わる1分1秒まで『過程』に縋るな。
試合中に辛い時は必ず訪れる。
そんな時、FINALに出場することが出来ただけでも満足だなんて一瞬でも思うな。
FINAL出場は『過程』に過ぎない。
貪欲に勝利を追求しろ。
『結果』を渇望しろ。
『結果』を渇望した先に、待ち受ける苦難に直面した時、最後に自分自身を支えてくれるのは、何年にも積み重ねてきた、無数の想いの数々、努力の数々だ。
『過程』は、最後に自分自身を鼓舞するためにある。
そういう意味では、『過程』は今も大事だ。
しかし、改めてみんなに日本一を渇望する覚悟があるのかを問う意味で、『結果』に拘れているかを投げかける。
少し話が変わるが、今年度の武蔵の強さは、着実に引退していったOB・OGのDNAが現役のみんなに受け継がれているところであると思う。
一昨年の武蔵は、メンバーの能力でいえば今年度よりも高かったかもしれない。
それ故に、根拠のない自信を持ってしまった。
初戦の一橋戦、部内では勝てると誰もが思い込んでいた。
結果は1-8で大敗を喫した。
慢心が綻びとなり、敗北に繋がった。
武蔵の課題の1つに勝負に対してのメンタルがあった。
あくまでこれは1つの例に過ぎない。その他にも課題は沢山あった。
しかし、勝つ保証もない中で、当たり前のことを積み重ねることで、いつか特別な何かになると信じ、もがき続けたOB・OGの姿が血となり肉となり、1つ1つの課題を克服していった。
そして、今の武蔵がある。
武蔵は成長できるところが強みだ。
点と点を結び強固な線となることが出来る。
コーチは面白い。
長い年月、携わり続けることで、チームの成長を実感でき、気づいたら『結果』に近づいていく。
毎年、本気で現役のみんなが懸けてきた4年間を素敵な4年間であったと心から思ってもらうためにも、微力ながら僕がやれることはやってきたつもりだ。
しかし、『結果』を出すことは出来なかった。
本当に申し訳ない。
しかし、武蔵を引退していったOB・OGが本気で日本一を目指し、築きあげた『過程』が今、長い年月を超えて『結果』になろうとしている。
今の武蔵の実力は、現役のみんなの努力の元にある。
しかし、それと同時に、みんなに勝つために必要なことを示してくれたOB・OGがいなければ今の武蔵は存在しない。
今まで武蔵に関わってくれた人たちの『過程』を、『結果』を出すことで改めて素晴らしい『過程』であったことを示したい。
そのためにも絶対に今年こそ『結果』を出そう。
みんなの想いを胸に、俺らは11/6駒沢で勝利するんだ。
『結果』を残すんだ。
ラクロス界の歴史に新たな1ページを刻むと同時に、武蔵に関わってくれた人たちの悲願を果たす、そんな試合に11/6はしよう。